夏の災難
ことの起こりは、奴が留守だったことからだった。
最近、外出にもそうそううるさいことは言われなくなったので、ちょっとした買い物して、
息抜きのように潮風に当たっていたのだ。
でも、これだけは言える。
悪いのは決して俺じゃない。
倉庫街から海を挟んで沈没船が微かに見えるポイントは、俺の気に入りの場所だった。
暑いから目の前の海に入りたいとも思うのだが、あいにくアルベルタの近くに水泳に向いた場所はない。
ちょうど、ぎらぎらと光っていた太陽が雲の陰に隠れた時だった。
だから後ろからの影に気付かなかったなんて、言い訳にしかならないだろう。
肩を叩かれて振り向いた後、みぞおちに鈍痛を感じて俺の意識は飛んでいった。
ぼんやりと、目を覚ました。
腹を殴られて拉致られるのはあいつに捕まった時以来だなはっはっは、なんて現実逃避をしている場合ではない。
あのアサシンの仕業か、と考えて心の中だけで首を振る。
奴は遠征だとかで、明後日にならなければ帰ってこないはずだ。そもそも、あそこまで人さらいめいた
行動を取る理由もあいつにはない。
薄目で状況を探ってみると、風の爽やかさなど微塵も感じさせない薄暗い部屋。
手は後ろでがっちりと縛られていて、抜け出せそうにない。
足までは拘束されてなかったから、思い切って転がされた状態から身を起こす。
そこまで来て、腰の辺りに覚えのある感触が見つからなくて愕然とした。
楽器! 俺の楽器どこに行った!?
周りに誰もいないようなのはわかってきたので、目を皿のようにして辺りを見回す。
部屋の隅っこの粗末なテーブルの上に、カバーごと俺の楽器らしき物が置いてあってほっと一息吐く。
よくよく見れば一応携帯している弓だの矢だのも置かれている。
服に仕込んだ方の矢は見つかっていないようだが、楽器も弓もないんではさほど意味がない。
というか俺縛られてるし。
もの凄く狭い、という部屋ではないのだが、なんだか非道く重苦しさを感じる。
窓の一つもないし、およそ人が快適に過ごすという目的で作られたわけではないことが容易に想像つく。
とにかく、あんまりいい目的で連れてこられた訳じゃないのは確かだ。
とりあえずドアがもしかしたら鍵がかかってないかも、という一縷の希望をかけて、壁の力を借りて
立ち上がる。楽器のことは後で考えることにして、歩きづらいながらもドアへと向かっていった。
ドアに到達して、それを眺めてみた時だった。
がちゃがちゃ、と音がしてドアノブが開く。
やべ、と思った時にはすでに遅く、勢いよくドアが開いていた。
「うわっ!?」
内開きだったため、ドアがあたりそうになったのをすんでの所で避ける。が、バランスを崩して尻餅をついてしまった。
見上げれば、今ドアを開けたらしい男と、その後ろに二人ほど、やはり男が立っていた。
せめて綺麗なおねーさんという選択肢はないのか、と内心ごちる。
「なんだ、起きてやがったのか」
そう言いながらずかずかと部屋の中に入ってくる男を避けて、俺は後ずさった。
最後の一人まで入ってくると、ご丁寧にドア閉めた後鍵までかけやがった。
「……何の用だよ、言っとくけど金なんか全然持ってないからな」
無遠慮に睨みつけてやると、男たちは何がおかしいんだか笑い始めた。
制服を着ていないのでわかりづらいが、どう見ても一般人という風貌ではない。
私服なのは特定を防ぐためなのかは知らないが、鍛えられた体を見ていると冒険者にしか見えなかった。
「金なんざいらねーよ、俺たちはあんたの相棒に用があるのさ」
……相棒、といわれて瞬時に思い浮かぶのは愛しい楽器だけなのだが、そういうことが言いたいのではないだろう。
「相棒なんかじゃないけどさ、あの人格破綻者に用があるなら直接言えよ」
「まあ平たく言うとだ、前回も前々回もその前も、狙ってた砦が奴のせいで落とされてな」
人の話を聞け。
つか、それはあんたらの作戦とかが悪いんじゃないのか?
「やられっぱなしじゃ腹が立つからなー、いっそぼこらせてもらおうと思って」
なかなか悪くない趣味をしてるが、それで俺を拉致るのはお門違いじゃなかろーか。
そんなことを考えていたのが顔に出たのか、ずいと男は顔を寄せてきた。
暑苦しい、寄るな。
「しかし、だ。あれは正直俺たちの手に負えるレベルじゃねえ。となると、できるだけ楽して恨みを晴らしたい」
わかりやすい精神構造してるよ、この人たち。
「素直に腕上げてから仕返ししろよ……」
ぼそぼそと言ってはみるものの、誰一人耳に入れた様子はない。
「いかにアレが人外魔境でも、だ」
人外魔境、言い得て妙だ。
少しばかり感心した途端、がっと顎を掴まれた。
「……人質がいれば、俺らの言うことを聞くだろう?」
にたり、と意地の悪い笑みを浮かべる目の前の男。
いや、んなこたないと思うぞ、と言いたいが顎掴む力が強いのか、口を開きづらい。
「それが恋人となりゃイチコロだろ」
げらげらと周りの男と合わせて笑う。
それは良いのだがちょっと待て、今何つったこの野郎。
首を思いっきり振って男の手から逃れて、俺は叫んだ。
「やかましい! どこの誰があいつの恋人だ!?」
手を振り払われた男は少しびっくりした目で見ていたが、答えたのは後ろにいた男だった。
「ここのお前」
「違うわ! 不名誉極まりないガセネタ流すなっ!」
「いや、だって……なあ」
何ともむかつくことに、男たちは顔を見せ合って頷き合ったりしている。
「普通、同じ部屋に泊まっていてやることやってりゃ恋人同士だろ」
「なあ?」
「ああ、そうだよなー」
呑気に確かめ合う誘拐犯どもを尻目に、俺はくずおれたくなるのを必死でこらえた。
こいつらには世間一般の常識とか無いのかというかなんで部屋だのそういうことまで知ってるんだ!?
「そもそも、人質なんか無くても頭数揃えて奇襲とかしてみろよ」
これ以上聞いているとへこたれそうなので、強引に会話を変えてみる。
「それでアレが倒せるとでも思うか?」
「いや全然」
迷うことなく即答した。
物理的にではなく本能的に、あいつが倒れてる姿とかは想像できない。
「無責任なこと言うんじゃねえ!」
「俺の発言に期待する方が間違ってるだろうが!」
こいつら、俺のことを奴の…その、なんだ、恋人とか思ってるんじゃないのか。
俺の言葉には一理あると思ったのか、また三人揃って頷き合う。
だん○三兄弟かあんたら。
「じゃあ、お前の発言は聞かないってことで」
なんだかしみじみと、後ろの男が呟いた。
最初の男の目つきに嫌な予感を感じて、思わず後ずさった。
が、あまり離れないうちに背中に壁が触れた。
「もう試してみたかもしんねえが……ここは特殊な技が施してあってな、
耳打ちだのPT会話だのは一切遮断されるんだ」
しまった、試そうとすら思い浮かばなかった。
「助けを呼んでも無駄、ってことだな」
殊更ゆっくりと、男が近づいてくる。
ものすごーく嫌な予感があたらないことを祈りつつ、俺は声を張り上げた。
「な、なにするつもりだ!?」
「そりゃ……人質捕まえてやることったら決まってんだろ?」
三人揃って下卑た笑いを漏らす。いや待て待て、人質ってのは丁重に扱うのがセオリーだぞ。
「どうせアレをおびき出すまで時間はあんだ、あんたも退屈持て余すよかいいだろ?」
よくねえよ! 俺は楽器さえあれば一月は余裕で時間潰しできるんだよ!
必死に首を横に振ってみたが、にやにや笑ったままの相手を止められるような効果はなかった。
「あ、あんたら……それでも男か!?」
「ああ?」
目の前にまで迫った男が、どこか不思議そうに俺を見た。
「男だから――こういうことすんだろ?」
そもそもだ。
こいつらがどんな理由でたまっててもかまわんが、男だというなら女の子と合意の上で楽しんだ方が良いだろう。
いや、世の中には同性しか愛せないという人もいるんだから、合意の上で各々の嗜好に合わせて遊べばいいさ。
要するに……俺を巻き込まないでほしい。
半ば現実逃避モードに入って、起こっていることを全て否定してしまいたかった。
しかし無遠慮に体を触ってくる手の感触とかなんかは、頭の外に追い出せる代物ではなかった。
「いっ……」
ずり落ちたズボンは膝の辺りに引っかかって、足をばたつかせることすら邪魔をする。
後ろの穴に容赦なく指をねじ込まれて、たまらず声を上げてしまった。
手首の縄なんて解いてもらえないまま、うつぶせ状態の俺の姿は結構情けないものがあるだろう。
「や……め」
半分諦めてはいるが、大人しく享受する気にもなれない。
さっき殴られた時に切った口の中がぴりりと痛んだ。
気に入らないのか、男の指が更に入り込んできた。
細かく呼吸をして痛みと、上がりそうになった声を逃がす。
「ちっ、めんどくせーな」
「やっぱあれ使った方がいいんじゃね? ほら、こいつバードだしよ」
「ああ、そうか」
頭の上で交わされる会話が妙に耳に付く。一人は見張りのつもりなのか、ドアの前から会話していた。
ていうか、面倒ならやめろ、今すぐ。
俺の背中を押さえつけていた男が、胸ポケットから小瓶を取り出した。
ちゃぽんと揺れる赤に近いオレンジの液体に、見覚えがないといえば嘘になる。
通称、狂気ポーション。攻撃性と反応速度が上がる液体だが、未熟な冒険者や、俺みたいな職業の人間が
服用することは禁じられている。あいつでさえ服用しないそれをなぜ知っているかといえば、いわゆる
潤滑油として何回か使われたことがあるからだ。
その後数日間は腰が立たなくなった記憶が、ってそんなことはどうでもいいんだ。
こいつらの意図をなんとなく理解してしまった俺は、慌てて暴れ出した。
「い、いやだ! んなもん使われて……っ」
暴れると言ってもたいした動きは出来ないのだが、それでも鬱陶しくなったのだろう、
男の一人が俺の指に手を当てた。とどめに、耳元で囁かれる。
「……指の一本や二本、折ってもいいんだぜ?」
歯を食いしばって、動きを止めた。そうするしかなかった。
足の一本ならくれてやってもしばらくすれば治るが、指に至ってはそう悠長なことを言っていられない。
三日も楽器に触らなければ勘がにぶるし、間違って神経までいってしまっては二度と弾けなくなる可能性もある。
こんなことで人生の理由を失いたくはなかった。
数時間我慢すればいいだけの話だと、俺は両目を瞑った。
熱い液体が、男の指と共に体内に入ってくる。
体が震えるのはもうしょうがないと諦めて、極力声を出さないように気をつけた。
「……っ、は……」
ぐちゅ、と後ろから音がするのが嫌でならない。
人の体好き勝手使いやがって。
そんなことを考えてるうちに、指が抜かれた。小瓶が床に転がる音がする。
「うあっ……! ぐ……」
男がかなり強引に突っ込んできた。とにかく、痛い。
下手くそだかどうなのかは比較対象が奴しかないのでよくわからないが、とりあえず痛いんだよこの野郎。
「おいおい、もっと色っぽく喘げねーのかよ?」
「バードだろ、せいぜい歌ってみろよ」
残りの二人が揶揄する声が聞こえる。んなこと言うんだったら変わってみやがれ。
「やかま……し……」
後ろに刺さった物とこすれる液体が、否応なしに染みこんでいくのを感じる。
顔に血が上っていくのがうざったかった。
「ひあっ!?」
突然、腰を引き上げられた。自然腰だけを高く上げる姿勢になり、その分相手のを深く受け入れてしまう。
肩と膝に体重がかかり、男の荒い息づかいまで聞こえる。
肉がぶつかりあう音まで鮮明に聞こえて、この時ばかりは自分の耳の良さを呪った。
「いっ、あ、ああっ!」
「やべ……」
容赦なく突かれて上がる声に、男の低い声が混じった。
げ、と思った時には遅く、中に狂気ポーションとは違う液体が注がれる。
「あ……!」
大きく息を吐いて、衝動をなんとか逃した。
「はえーよ、お前ー」
「うるせえな、ご無沙汰だったんだよ」
からかうような仲間の声に返事してから、男の体が離れていった。
ドアの前の男と代わるように位置を交代する。
「まあまあいいぜ? 毎晩やってるってのもまんざらじゃねえな」
「結構いい顔はしてたけどなー」
やかましいわてめーら、目の前で人の品評会始めるんじゃねえ。
もの凄く言ってやりたかったが、面倒なことになりそうで止めておいた。
「!」
いきなり、立ち上がってしまっていた俺の、を掴まれた。
最初から順番が決まってたんだか何だか、会話に参加していなかった男が後ろに回っていたのだ。
「何、お前感じてたわけ?」
ひっつかんだまま、背中に被さるようにそいつが話しかけてくる。
何か言うのも癪で、沈黙を通すことに決めた。
てめーらだって後ろに突っ込まれたら多分たつんだからなこんちくしょう。
「別にアレに操立ててるってわけじゃないんだな、実はスキモノ?」
こいつの声には覚えがあった。
さっき、俺の中で重要な部類を占める指を折ってやろうかと脅してくれた男だった。
黙ってやられてたのはあんたのせいでもあるだろうが。
そもそもなんだその女の子に対するような認識は。
「まあ、一回ぐらいはいかせてやるよ」
「いらねー、よ……」
その物言いにえらく腹が立つ。何様のつもりだ。
ようやくおさまりかけた後ろに、そいつも強引に突っ込んできた。
「ひっ……!」
進入は容易だったに違いない。自分の意思ではないのに、壁が収縮している様子までわかってしまった。
ダイレクトに内側の性感帯をこすられて、体が跳ね上がったのが悔しかった。
ついで、とばかりに男が持ったままだった俺のそれを嬲り出す。
「う……くっ」
必死で息を吐いて衝動を逃そうと試みたが、間の悪いことに奴が留守になったのは三日前だった。
その間しようとも思っていなかったので、考えてみれば結構間があいている。
途端、後ろの男ではなく奴の手つきを無意識に思い出したことに気が付いて愕然とした。
俺にこういうことをしているのは奴ぐらいしかいないから当然なのかも知れないが、見ず知らずの男に
好きにされている時まであいつの顔が出てくるのがどうにも解せない。
「……ずいぶん余裕じゃねえか」
自分の思考に浸っていたことに男が気付いたのか、不機嫌な声を上げた。
一旦抜かれたことに疑問を持つ間もなく、視界が急激に上がった。
床ばかり見ていた視界に突然男たちの顔まで飛び込んできて、状況を把握する前に再び刺激が襲ってきた。
「あああっ!?」
後ろから抱き上げられるように持ち上げられて、下から突きこまれた。
頬を伝うものが、汗だか涙だかわからない。
「ひっ、やあ……あっ!」
前への刺激まで再開されて、何が何だかわからない状態まで持っていかれる。
もう嫌だ、疲れた、と頭の隅で思っていると、何やら生ぬるい物体に頬をはたかれる。
いつの間にか閉じていたらしい目を開けると、目の前にあれが突きつけられていた。
思わず下がりたくなったが、後ろの男にしっかり抱き込まれている以上無理な相談だ。
「口が開いてんのはもったいねえよなあ?」
「あ……?」
俺に聞いているわけでも仲間に確認している訳でもないらしい独り言を漏らして、男は俺の口に突っ込んだ。
「ぐ……!?」
独特の味が口内に広がって、吐き気がした。
噛みちぎってやろうかと思ったのを察したのか、後ろの男が俺のそれにぎり、と爪を立てた。
「!!」
この野郎、なんてことしやがるんだ。
目の前の男にぐっと口の中に押し込まれると、切れた場所が更に痛む。
あんたが殴ったんだから、ちっとは遠慮しろ!
「う……ふぐっ……」
くぐもった声が情けない。
ちりちりと頭の芯がうずいて、腹立たしいことに解放されたいと俺にねだる。
死んでも屈服なんざしたくないが、これは生理現象だ、多分。
目尻にたまった水を舐め取られるのにさえ体が反応する。
「こんなもん、か……」
囁きついでに耳に息を吹きかけて、後ろの男が果てた。
「…………!!」
頭は必死で制止するのに体がついていかず、男につられるように俺も達する。
いいようのない開放感に酔いしれる前に、屈辱が先に立った。
軽く歯を立ててしまったらしく、前に立つ男の顔が歪む。
自業自得だろうが。
前の男は焦ったように腰を動かし、唐突に口から引き抜いた。
ばっ、と顔から頭から、男の精液がかかった。
言いたい文句は山とあったが、口に出す余裕がなくひたすら睨みつける。
ずるりと後ろの男が引き抜いたと思ったら、前に突き飛ばされた。
勢い倒れ込む形になり、両手を縛られているため受け身すら満足にとれず、床に転がった。
床から見上げると、男たちのにやにや笑いが消え、どこか熱っぽい視線で見られていることに気付く。
「……?」
二番目に突っ込みやがった男が、どこか渋々というようにドアの前に立つ。
最初の男が戻ってきて、俺の腰に手をかけた。
「も……や、だ……」
俺は疲れてるんだ。
本当は制止の声だってこんなに弱々しく言いたい訳じゃない。
「あんただって、あんだけで満足した訳じゃねえだろ」
充分だ。
「ホント……ちょっと、アレに囲われてるってのもわかるわな」
「アレぼこしたら俺らで飼ってみるか?」
「はは、面白そうだな」
……勝手なこと言いやがって……!
そういう目で俺を見るな、うざったいんだよ!
いい加減に、堪忍袋の緒がぷっつりと切れそうだった。
「……う、るっせーよ、このへたくそども」
感情は、適切な言葉を選び出して吐き出した。
ざわ、と男たちが殺気立つのを感じるが、もう後には引けなかった。
「んだとお……!?」
「もう一回言ってみやがれ!」
気色ばむ男たちに目を合わせて言えないのが残念だったが、ここで言わなきゃ男じゃない。
「へたくそをっ、へたくそと言って何が悪い!? 突っ込むだけ、しか能がないくせに……っ」
ふと息を呑んだのは、男たちの視線に生命の危機を感じたのでもなく、腰の痛みにつられたからでもなかった。
酷く覚えのある気配……覚えさせられてしまった気配、を頭の隅の方で感じたからだった。
頭に来たのか身に覚えがあるのか、男の一人が短刀を抜いた瞬間。
「うああああああああっ!?」
悲鳴は、別の場所から聞こえてきた。
ドアの前で立っていた男が、目立つ外傷もないのにふつりと悲鳴をとぎらせて倒れる。
「な、なんだ!?」
慌てて抜いた短刀を男がその方向に構える時には、すでに遅かった。
もう一人の男が声もなく倒れ伏し、混乱した男が武器を振り回すよりも早く、濃紫の風が動いた。
麻痺毒でも塗ってあるのか、急所を外した短剣に切られただけでその男も意識を失う。
後に残ったのは、一人佇むアサシンだけ。
さんざっぱら俺や男たちから人外扱いされていた奴は、苦もなく三人を片付けてから俺の方へと向かってきた。
正直、あの三人よりもこいつ一人の方がよっぽど恐ろしいのを知っている俺は、身を起こして慌てて言葉を並べ立てた。
「俺のせいじゃないからな!? あくまでも俺は被害者だっ」
アサシンは何も言わず歩いてくる。さほど距離もないのに、俯いているせいで表情が読めない。
「大体、原因はあんたに……!?」
唐突に、かつてないほど優しく抱きしめられた。
全く予想外の反応に戸惑っていると、ごめんねと小さな声がする。
「……ごめんね……」
俺は、相手から表情が見えないのを良いことにぎょっとした顔を隠そうとはしなかった。
未だかつて、ここまで殊勝なこいつの姿は見たことがない。
「ごめんね、遅くなった……」
確かに遅かったが、こいつは遠征に行っててしばらく帰らないはずだった。ここに来るという事態も、
俺は全く想像していなかったのだ。なんで今いるんだ、と聞きたかったが雰囲気に押されて声が出なかった。
「恐かったよね、ごめん」
何回目かの謝りの言葉を口にすると、回している腕に少し力を込めた。
まあ、恐かったっつか……最初に俺強姦したのあんただからな?
それでも、あいつらとはやり方が違っていたことに、俺は気付いていた。
こいつは、もっと逃げ出したくなるような、泣き出したくなるような手口で追いつめてくる。
弄くられている間に浮かんだ言葉を、ふっと口に出してしまった。
「……あんた、俺のこと好きだったんだな」
思った以上に疲れているのかも知れない。
ぱっと体を離して俺の顔をまじまじと見つめたアサシンは、実に嬉しそうに笑んだ。
「好きでない時なんて、ないよ」
普段とは違う笑顔に、少しだけ見とれたのは、きっと疲れているからに違いない。
End.
|