金のメイス


人間が知らない世界というのは、いつだってどこだって広がっているものです。
特に、今森の中を一人でのんびり歩いている王様が治めている国の領土には、人魚だの魔法使いだの
獣人だの竜だの悪魔だのがいっぱい棲息していました。王様は賢かったというか自分の興味のない
ことには無関心だったので、相互不可侵ということで不思議な生き物たちを無視していました。
さて、右手に持った古びたソードメイスでさくさくと進路をふさぐ枝を切り倒しながら歩いている
王様は、月に一回領土の中でも適当な森や未開の地に赴いてのんきに散歩するのが好きでした。
それなりに真面目に国を治めていた王様には、それぐらいしか楽しみがないのです。
王様は一応神に仕える修道士でもあったのですが、人外の生き物たちと妙に知り合ってしまうタチだった
ので、もうなんか神とかはどうでもいいやとすら思っていました。
ぼんやりと歩いていたら目の前に大ぶりな枝が出ていたので、それを切るのは手間がかかると思い、
枝をくぐりました。
そして、思わず王様は息を呑んだのです。
それは小さいといってもいいようなサイズの泉でした。
しかし透明で綺麗な水がこんこんとわき出ていますし、まわりの森の木々は生命力に溢れています。
とてもすてきな泉でした。
感嘆した王様は、そっと泉に近づきました。
泉のふちにソードメイスを置いてひざまずき、片手の手袋を外して水に触れてみます。
ひんやりとした感触に王様が顔をほころばせた、まさにそのときでした。
突然大地が揺れ、水面が波立ったのです。
地震か、と王様は身構えましたが、ソードメイスを拾うのをすっかり忘れていました。
ぼちゃん、と音がして、ソードメイスが泉に沈んでいきます。
「あ!」
地面の揺れがおさまったのとソードメイスが落ちたのに同時に気が付いて、王様は声を上げました。
慌てて泉の中を覗き込みますが、水が透明なぶんゆらゆらと沈んでいく様まで見えてしまいます。
しかし不思議なことに、泉の底は見えませんでした。
「困ったなあ……」
王様はため息を吐きました。
実はあのソードメイスは鍛冶士であった友人が打ったものであり、昔から大切に使っていたものだったのです。
確かに王様は国の長でしたが、貧乏というわけでもないのですが無駄遣いは出来ないような国の長ですので、
生活は案外質素なものでしたし、物は大切にする人でした。
しかし、底が見えない泉に潜ってみるというのは危険すぎる気がします。
さて泉のほとりで困っていると、きらきらと水面が光ったように見えました。
目の錯覚かと思いごしごしと目をこすってみたところ、光はどんどん増えていきます。
一際強い光が泉からあふれたかと思うと、瞬間後には一人の青年が泉の上に立っていました。
王様は再び自分の目を疑いました。
どう見ても水の中から出てきたように見えるのですが、青年はちっとも濡れていません。
そもそも、普通の人は水面には立てません。
「あなたは今、この泉に落とし物をしましたか?」
しかし、その声はきちんと口を通して聞こえたものでしたし、変なエコーがかかっていたりもしません。
少なくとも今まで出会った人外よりよっぽどまともだと思えます。
「ええ、その通りですが……あなたは一体」
王様はその職業故に、外面がとてもよろしいです。
「失礼しました」
青年はふわりとおじぎをしました。それは宮廷の作法に慣れた王様の目から見ても、無駄のない動作でした。
「僕はこの泉の神をやっているものです、王様」
事も無げに語った青年に、王様は二度びっくりさせられました。
なんとなくいかにも腰の低そうな青年が神であるということと、自分のことを知っていることにです。
「私のことを知っているのですね」
「これでも神の端くれですから」
青年は――泉の神は、自分の胸に手を当てて静かに微笑みました。
「泉に姿を映したもののことは知ることが出来ます」
一応王様が仕えているはずの神様は主神ですが、他にも神様がいることは知っていましたからそれ自体には
あまり驚きませんでした。それにしても、ずいぶん位の低い神様のようですね。
「ええと……落とした物のことですが」
「泉の底で見つけましたから、取ってきますね」
「ありがとうございます」
王様は心の底からそう言って一礼しました。泉の神の笑顔が少し悪戯っぽいものになりました。
「地代は納められませんから」
みょうに俗世に慣れているように思われます。
はてその顔をどこかで見たことがあるなあと思いながら王様が待っていると、神は程なく戻ってきました。
「あなたが落としたのは、この新品で限界まで精練済みのソードメイスですか?」
説明的な台詞ですが、お約束というやつです。
神が両手で持っていたのは確かに落としたソードメイスと同じ姿形をしていましたが、あのソードメイスは
新品ではないし、ましてや過剰な精練などされていません。
そもそも泉に落ちているのなら他の誰かの物だろうと考えた王様は、首を横に振りました。
「いいえ、私のソードメイスではありませんね」
「あれ、違いましたか」
神は小首を傾げました。いまいちありがたみのない神様です。
「では、少し待っていてください」
ぴかぴかのソードメイスを泉のほとりに置いたまま、神は潜っていきました。王様はそのソードメイスを
ちらりと見ましたが、近づかずに放っておきました。
三度、神が泉の上に立ちます。
「あなたが落としたのは、このゴールデンメイスですね?」
「ちがいます」
思わず即答してしまいました。
神が持っているゴールデンメイスは全体的に金ぴかで、ぱっと見純金に見えます。
落ち着けば、あれ一つで橋を修繕して新しい図書館を建てて、と王としての計算が働くのですが、
最初に聞かれた時の彼の心境はといえば、ソードメイスだって言ってるだろうが、てなものです。
神は困った顔で手元のゴールデンメイスを見つめます。王様としては、さっきより遠ざかった落とし物が
不憫でなりません。ついでにゴールデンメイスの落とし主を見つけて一割をお礼に、という考えが
頭に浮かびましたが、気付かなかったことにしました。
「私のソードメイスは、もっと古いものですよ」
「ええと……少々お待ちを」
神は、今度は王様に背中を向けて泉の中に潜っていきました。
王様はなぜかその背中にも見覚えがあるような気がします。
やっぱりほとりに置きっぱなしのゴールデンメイスには目もくれず、王様は頭の中を検索します。
「お待たせしました」
答えが出る前に神は戻ってきました。手には、きちんと王様のソードメイスを持っています。
「これがあなたの落としたソードメイスですね?」
「はい、そうです」
なんだか時間がかかったな、と考えながら王様は頷きます。
その答えを聞いて、神はとても嬉しそうに笑いました。
あれっと王様は思います。やっぱりどこかで見たことあるなあ。
「あなたは正直な方のようですね」
そう言って、王様にソードメイスを手渡ししてくれました。手にしっくり馴染む感覚に満足した王様は、
こちらもにこやかな笑みを浮かべます。
「ありがとうございます」
「いいえ、ではこちらもどうぞ」
神は置きっぱなしだった精練済みソードメイスとゴールデンメイスを持ち上げると、それも王様に
渡そうとしました。困ったのは王様です。
「誰の物かもわからないのに、頂けませんよ」
「でも、そういう決まりなんです」
詳しく話を聞いてみると、この泉に物を落とした人は上記のようなやりとりをしてから、正直者であるかないか
によっていい物をもらえたりもらえなかったりするようなのです。
「といっても、あなたが初めての方でしたけど」
「はあ……」
神の間で決められたらしい決まりはともかく、王様は適当に相づちを打ってから、唐突に神の手を掴みました。
すり抜けることはなく、きちんと手を掴めています。
ぎょっとして身を引こうとする神の手のひらをみて、王様は小さく呟きました。
「……剣だこ」
「う」
うめいた神の横には、如何なる力が働いているのかさっき驚いて離してしまったメイス二本が浮いています。
その真ん中でだらだらと冷や汗をかいている神さまでした。
「君、うちの国の傭兵団にいたことあるね」
対外活動用の外面をあっさりと脱ぎ捨てた王様は実に楽しげでした。
「な、なんでそんなこと覚えて……!」
対照的に慌てふためく神は、はっきりと墓穴を掘っていることにも気が付かない様子です。
「いくらなんでも、自分の命を助けてくれた人の顔は忘れないよ」
最初は気付かなかったじゃないか、という無粋なツッコミをする者はここにはいません。きっと印象が
あまりにも違っていて気付かなかったのでしょう、そういうことにしましょう。
神の方は言い訳の言葉を探しているのか、ぱくぱくと口を開閉させています。
それは王様がまだ王様になっていない、ただのアコライトだった時のお話です。
普段は平和な国でしたが、たまーにどんなに妙な土地ばかりの国かも知らずに攻めてくる国があります。
そうなれば仕方がなく、交渉が成立しない相手とは武力を持ってぶつかるしかありません。
大抵はドンパチをやっている最中に得体の知れない生き物がやってきて「やかましい」と怒って去っていき、
それを目にした敵国がこんな土地はいらないと逃げていくのでしたが。
幸いにも王様が任期についてからはそういうことはありませんでしたが、前の王様の時は二、三回ありました。
教会からの支援兵という立場で参加していたアコライトたちの一人が今の王様でした。
本来なら前線に出て戦う必要はなかったのですが、運悪く奇襲にあった部隊に配属されていたのです。
多勢に無勢、持ちこたえられないかと思った時に助けに来た傭兵の一人が、目の前にいる神さまだったのです。
それから後は戦が起こることはなかったので傭兵団は縮小され、王様を救ってくれた青年もいなくなったのでした。
「え、ええと、でもあのときは神としてじゃなくこの土地に住むものとして……」
何か都合の悪いことでもあるのか咎められていると思ったのか、神はしどろもどろと言い訳をします。
「そんなことはどうでもいいのだけど」
王様はずっと神の手を握ったままでした。まるで、離したら逃げられてしまうと知っているかのように。
本当は無理矢理消えることだって出来るのですが、パニック状態の神にそんなことは思いつきません。
「正直者には褒美をくれる、と言っていたね?」
「は、はい、だからこの二つ」
いきなり話が戻って瞬間的に我に返った神の台詞を、王様は皆まで言わせませんでした。
「私は君がほしいな」
「はい!?」
神は目をほとんど真ん丸にして驚きました。今までそんなことを言う人には会ったことがありません。
そちらを気にする余力もなくなったのか、メイスが二本派手な音を立てて水中に落下していきます。
その音にも驚いて思わず水面を確認した神の隙をついて、王様は力いっぱい神の手を引っ張りました。
「うわっ!」
あっさりバランスを崩した神が泉のほとりに立つと、みるみるうちに着ているものが変化して、
汎用な剣士の装束――王様と初めて会った時と同じ格好になりました。
剣士姿になった神が慌てているところから見て、泉の外に出ると自動的にその格好になるのでしょう。
「うちの国に来て、私を助けてくれないかな」
「え、えーとそれは」
どう答えていいものか、と迷っている剣士姿の神は王様よりほんの少し背が低めでした。
「ちょうど近衛隊の隊長が辞めてしまったから、優秀な人を捜していたんだ」
微笑む王様は嘘こそ言っていませんが、近衛隊なんてあってもなくても同じような役職です。
隊員は二、三人、ついでに言うなら前隊長は部下の管理に疲れてノイローゼ気味で退職しました。
どっかで宿屋でも開いて平穏な生活を送るそうです。
「そんな大役、僕にはとても」
「君に一番そばにいて欲しい」
辞退しようとした神を早回りして遮ります。
もうほとんど口説いているような状態なのですが、人慣れしていないのか神はちっとも気付いていません。
「いちおうここの神ですしっ」
「前に出てこれたってことはある程度離れてても平気なんだよね」
「う」
さっくりと図星を指されました。どこから見ても勝ち目がありそうに見えません。
それでも何か予感がするのか、神は色々と逃げ道を探します。
「じゃあ……お試し期間、というのはどうかな」
王様はころころ変わる神の表情を楽しそうに見ていましたが、黙っているわけにもいかないので
一つ条件を提示してみました。案の定、不思議そうな顔で神が王様を見つめます。
「お試し期間?」
「そう。二週間ほどうちの城に滞在してもらって、体験してもらう。その後で決める――というのは?」
あくまでも選択権はそちらにあるのだ、と王様は半分嘘の提案をします。
要するに、その期間のうちに丸め込んでしまえばおっけーなのですから。
一方神の方も、ここまで言われてすぐに断るのは失礼な気もしましたし、少しお役に立ってから帰ってくる
のもいいかな、という気分になりました。根本的に人が良いのです。
「え、と……では、それでお願いします」
神は再び軽く会釈しました。王様も、笑顔で礼を返します。
「じゃあ行こう」
王様は善は急げ、とばかりに神の手を引いて歩き出します。
その姿に、神はあの、と声をかけました。
「もう逃げませんから……その、手を」
「なぜ?」
はなしてください、と言うのに先立って王様は笑顔で振り向きました。
「なぜって、えーと」
なぜか、と面と向かって聞かれればなぜ離してほしいのかわからない神は少し混乱しました。
理由を考えている間に、王様に念を押されてしまいます。
「特に理由はないなら、このままでも問題はないね」
「はあ、でも」
「ないね」
「……はい」
元から腰が低い神さまは、素早く丸め込まれました。王様がごーいんぐまいうぇいすぎるだけという意見もあります。
でもそうでもないと王様なんてやってられないものですしね。



神さまから一人の剣士になって、訳もわからないうちに近衛隊長になってしまった後、
結局彼が泉に戻ってくることはありませんでした。
噂では異常な土地とのんきな国民性と妙な側近たちをまとめる王様にすっかり口説かれて、
国に居着いてしまったとのことです。

正直者は得をする、というお話。



End.







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