悲劇のロミオとジュリエット 後編
アルベルタからバードが去って数日経ったが、人々の生活はさほど変わらない。
そんな中、一人の青年に悲劇が訪れようとしていた。
「お帰りー……って、妙に上機嫌だな?」
朝方帰ってきた養父を出迎えたシーフは、その上機嫌を訝しんだ。
いつものようにでっかいハンマーを抱えた彼はいつもよりも嬉しそうに笑っている。
「精練でも成功したのか?」
「失礼だな我が息子よ! いつもいつも失敗しているようではないか!」
はっはっは、と笑う声もいつもより朗らかである。
そう、彼の養父は通称クホルグレンことホルグレンその人であった。
「今日はお前にもいい話なんだ」
ハンマー下ろして一息吐いて、早々に彼は切り出した。
お茶を自分と養父に出して興味なさげにシーフは話を聞く。
「キャピュレット家と縁談と結んできたのだよ! 良縁だ!」
ぶーっ、と、勢いよくシーフは口に含んでいたお茶を吐き出していた。
もったいないと父親が眉をひそめるにも構わず、机に手をついて立ち上がる。
「キャピュレットってーと、適齢期の娘? は一人しかいないじゃねーか!」
「そうとも、跡取りのご令嬢だ。良かったなあ逆玉の輿だぞ」
「良くねえ!」
シーフは力一杯力説する。
実は、彼はアサシンの裏家業の方で本人と知り合い、幾度となく会ったことがあるのだ。
「そもそもっ、あれは男だ!」
「父さんそんなこと知ってるぞ。気にするな、愛さえあれば性別なんて」
「愛があればな!」
ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返す。そんなことは本質的な問題ではないのだ。
しかし、養父はさっぱり聞く耳を持たないようだった。
「あちらも早いところ身を固めさせて、世間に女性だとアピールしたいみたいでな。
渡りに船だと有り難がられた」
「それは厄介払いって言うんだよ!」
何を言っても通用せず、最後には『式は明後日だ』と言い残して部屋に篭もられてしまった。
残されたシーフは、最後まで言えなかった最大の理由を思って冷や汗を流した。
「大変だ! 俺死ぬって言うか殺される!」
怪しげな建物が建ち並ぶ通りの中でも、一際倒れそうな店のドアが大きな音を立てて開いた。
店がきしむ音すらして、店主の女性は遠慮なく手に持っていたプラスチックの小瓶を入ってきた
少年の額めがけてぶん投げる。見事にヒットしたそれは、床を転がってもう一人の少年へと辿り着く。
「ドアは静かに開け閉めしろ、って言わなかったかい?」
「いや……聞いてますすいません……」
額を赤くしたシーフは、腰を低くして謝った。横手からくく、と低い笑い声がする。
もう一人の、毛を素敵に逆立てた剣士の少年が笑っていた。
「物覚えの悪い奴」
「うっさい、お前に言われたくない」
むっとしてシーフが言い返す。
そこにかんかん、と響いたのは店主のブラックスミスがパイプタバコで手元の空き缶を叩く音だった。
「で、いつ死ぬって?」
香典は出さないよ、と言われて、ようやくシーフはここに来た目的を思い出す。
「そう、そうなんすよ姐さん! 俺、結婚させられそうで!」
心底驚いたようにブラックスミスが目を開き、ほー、と剣士が低い声で言った。
「良かったじゃないか、もらい手があって」
「違うんだよ!」
揶揄した剣士を一括して、シーフは爆弾を落とした。
「相手がキャピュレットの跡取りなんだよ!」
こん、とパイプタバコが床に転がった。
ぱさ、と逆毛の一房が重力に従う。
泣きそうな顔でそれを見たシーフは、一気に喋った。
「俺昔っからあいつに恋人のことで牽制されてんだぜ!? 幸せ邪魔したら殺すよとか彼に近づくなとか
いらん心配されてさあ! しかも先日ついに結婚したとかいって連絡が来て、なんて言われたと思う?
万が一新婚生活邪魔したら埋めるって言われたんだ! 殺すじゃないところがリアルで恐い!」
父に言いたくても言えなかったことを洗いざらい話すと、一様に同情の眼差しで見られた。
二人、厳粛に手のひらを会わせて、声まで揃えて言われる。
「なむー」
「まだ死んでないっ!」
興奮収まらないシーフに、今度は各々が声をかける。
「その言い方だと生きたまま埋められるっぽいね」
「骨は拾ってやれないが財産は拾う、安心しとけ」
「慰めになんねえ……」
慰める気すらないのだから当たり前である。
一転してブルーモードに入ったシーフは、二人に背を向けて店の隅でしくしくやりだす。
その姿を哀れに思ったのか鬱陶しかったのか、
ブラックスミスはパイプタバコを拾ってから後ろの棚に手をやった。
薬瓶が所狭しと並べてある奥から、黄ばんだメモを取り出す。
「……ちょっと」
まだうじうじしていたシーフに声をかけてから手招きする。
「ここに行って、『掃除に来ました』って言ってごらん。何とかしてくれるかもね」
「えっ!?」
天の助け、とばかりに表情を輝かせたシーフは、勢い込んでメモを手にした。
「お前もつきあってくれよ!」
「たるい」
幾分か希望を持ったシーフは剣士を誘ったが、一蹴されてしまう。
今回は珍しくあっさり引いたシーフは、ブラックスミスにお礼を言って足取りも軽く店を去った。
そのメモが天国への切符か地獄行きのチケットかは、意見が分かれるところである。
早速向かった先で、シーフは困惑して足を止めた。
何回かメモと現在地をチェックするが、間違いはない。
「……なんで、教会?」
ぽつりと呟いても答えは返ってこず、重そうな扉に反射しただけだった。
あまり自分には似つかわしくない場所に気後れするが、死ぬよりはマシだと手をかける。
扉は思ったよりあっさりと開いた。
「いらっしゃい」
間髪入れず飛んできた声に、思わず身構える。
正面には、アコライトがたった一人で立っていた。
「本日はどんな御用です? 懺悔、祈祷、厄払い」
「え、えーと」
実に穏やかな声と風貌に、自分は間違えたのだと思ったが、一応言うだけは言ってみた。
「掃除に来た……んすが」
瞬間、彼の目が変わった、とシーフは感じた。
値踏みするようにじっとシーフを見つめた後、すっと奥の部屋を指す。
「話はあちらで」
それだけ言って振り返ったアコライトはすたすたと歩いていってしまう。
慌てて追っていったシーフが追いつく頃にはすでにその部屋のドアは開いていた。
青い髪の青年と何やら話している。
「表は頼むね」
「了解しました」
そしてシーフに頭を下げると、その青年が去っていってドアも閉められ、二人っきりになってしまう。
机を挟んで置いてある椅子の一つに座ってから、アコライトは手を組んだ上に顎をのせてゆっくりと尋ねた。
「誰に聞きました?」
とりあえずもう一つの椅子に座って、内心びくびくと答える。
「え、と、薬屋の姐さんに」
「ああ……」
ふむ、と頷いて、証拠とばかりにシーフが例のメモを渡すと、確実に納得したようだった。
「まあいいでしょう。で、ご用件は」
「あ、あの……実は俺、結婚させられそうになってて」
「時代錯誤ですね」
トントンと細長い指が動く。
「しかも相手が、公表してないけど結婚してる人で」
「……ほう」
ぴた、と指の動きが止まる。一瞬表情が強ばったのをシーフは気付かない。
「一応知ってる人なんだけど、恐いし何するかわかんない人で。幸せ邪魔するなとも言われてて……」
「一つ聞きたいんだけど」
半ば半眼のアコライトは、地を這う声で聞いた。
「どこの家の跡取り?」
「キャピュレットです」
いきなり跡取り、と言われたことを疑問にすら思わず答えてしまうのは短所である。
アコライトは表情一つ変えないまま、もの凄い早さで拳を振り下ろした。
木と肉がぶつかる音がするはずだったのに、みしりと机の木が音を立てただけだった。
この人も物理的法則に反している人かとシーフは驚嘆した。
「……失礼」
その後の笑顔はいっそ清々しくて、シーフはしばらく黙っていた。
アコライトも話さないが、こう言う時に目は口ほどに物を言う、という言葉は効力を発揮する。
シーフにか、はたまたキャピュレット家にか、自分の運命かにはわからないが、ふざけんなと語っていた。
「で、結婚を妨害してほしいと?」
「というか我が身がかわいいので死にたくないんです」
はっきりと意向を伝えると、アコライトは数分黙った。
何事か考えているようだったので、シーフも机の木目をじっと見つめながら待っていた。
「……よし」
結論が出たらしいアコライトが、がたりと席を立つ。
期待に満ちた目で見つめられて苦笑した。
「どうせしばらくしたら当事者が来るから、その後で君にも一働きしてもらう」
それまでさっきの子と一緒に待ってて、と言われて部屋を出る寸前、シーフはアコライトの独り言を聞いた。
「……どうして、あの人絡みの話は全てうちに回ってくるんだ」
本音を絞って凝縮かけたような声に彼の苦悩が詰まっている気がして、シーフは聞かなかったことにした。
アサシンの部屋にノックもなく入ってきたアルケミストは、にっこりと笑って、衝撃的な一言を口にした。
ずいぶんと増えたコレクションを整理していたアサシンの笑みが消える。
「……今、なんて言った?」
「だから結婚相手を決めてきた、と言ったんですよ」
片目眼鏡の向こうに見える目はあからさまに楽しんでいる。
「僕、もう結婚してるから」
断っといて、と事も無げに言って追い返そうとするが、アルケミストは聞かなかった。
「認めませんよ」
「今時親に認めてもらう必要はない」
「だって、お相手は嫌がってるじゃないですか」
「目の錯覚じゃない?」
もう老眼か、眼鏡かえたら? と嫌みたっぷりに言われるが、慣れているアルケミストは聞かない。
それどころか余裕すら持って笑みを崩さない。
「私にもお二人の絆を確かめるぐらいさせてくださいよ」
「……悪趣味」
ジト目で睨まれても構わず、アルケミストは話を進めていく。
「式は明後日、相手は知ってるでしょう、ホルグレン家の息子さん。まあ、しかし」
ふふ、と意地悪く笑う。年齢が全くうかがえない笑みである。
「私としてもモンタギューと統合するのはやぶさかではありませんし二人の愛? を見せて
もらえたら歓迎しますよ、もちろん」
「…………その言葉、忘れないように」
ゆらりとアサシンの後ろに立ち上る炎は見ない振りをしたまま、アルケミストは部屋を立ち去った。
シーフは当て馬よりも非道い扱いだ、と指摘する人間は残念ながら誰もいなかった。
アコライトは、傾きかけた店の前に立っていた。
あの後表面は笑顔だが全く笑っていないアサシンが教会に来てとりあえずシーフが九死に一生を得たり
したのだが、細かいことを気にする性格ではない。アサシンを教会に待たせて、自分は薬屋に来ていた。
ぎぃ、と蝶番がこすれる音にどこか安心すらして、店内に目をやった。
「いらっしゃい」
パイプタバコをくゆらせて、ブラックスミスが笑む。
薄暗い店内に剣士の姿はすでになかった。
「お久しぶりです」
「久しぶり。本日は何をご所望で?」
「毒薬」
ずばりと言い切ると、流石の彼女も鼻白む。
「一応売れない事になってるけど?」
「今更でしょう」
そう言われてしまえば確かにそうではあるが、いつにも増して性急である。
「キャピュレットの跡取り、と言えばわかるかと」
ため息と共に嫌みっぽく言われ、パイプを噛んで苦笑する。
シーフに泣きつかれてアコライトを紹介したのは他ならぬ自分だったからだ。
「20人でも一気に殺せるようなのが欲しい」
「……物騒だね」
ざっと頭の中にリストを思い浮かべながらも、とりあえずそう返しておく。
「最初は仮死状態にする例のあれ、と思ったんですが、あの人にそんなもの聞きません。
毒物対策万全だから、それぐらいの毒飲んでようやく二日ほど仮死状態になってくれますね」
「……いつも思うんだけど、あれは人間に分類していいのかい?」
「そんなことしたら生きとし生ける全てのものへの侮辱ですよ」
はあ、と二人揃ってため息を吐いて、ブラックスミスは無造作に置かれていた瓶をアコライトに渡した。
「これ一瓶でなんとか、ってところかな」
「感謝します」
古めかしいそろばんで示された料金に苦笑しつつも、耳を揃えて払う。
「二日後には全て終わらせますよ」
「そう願ってる」
用事は終わり、とばかりに出て行くアコライトの背中に、ブラックスミスは毎度あり、と手を振った。
「これが計画の全容」
大胆な計画を発表したアコライトは、全員の顔を見回した。
といっても三人しかいないのだが。
アサシンは笑顔で薬を受け取り、シーフは緊張した面持ちで頷き、剣士は首を傾げた。
「あの方、そう簡単に動くでしょうか」
「何だかんだ言って単純なんだよ」
思考は読みやすいよ、とアサシンに微笑まれて、はあと頷く。
そのアサシンに一瞬鋭い視線を向けてから、アコライトは締めくくった。
「……まあ、各自がんばって」
非常に投げやりであった。
翌日の夜、キャピュレットの跡継ぎは毒を飲んだ。
彼を迎えに来た花婿になるはずだった男性が発見したのは、冷たくなった花嫁の体だけ。
普段は何を考えているかわからない父親も、流石に絶句したという。
その本音が、毒ごときで死ぬわけがない、だったのは世間に知られていないことである。
息せき切った剣士が飛び込んできたので、バードは驚いて楽器を取り落としそうになった。
アルベルタから遠く離れた地、ジュノーでまで知り合いの顔を拝むとは考えていなかったのだ。
「た、大変です!」
「どうした?」
数回も顔を合わせたことはないが、インパクトが強かったので覚えている。
教会の、と思い出しかけて、嫌なことまで思い出して打ち消した。
「あ、の……キャピュレットの跡継ぎの方が、死にました」
「な……!?」
掛け値なしに真剣に驚いて、バードはついに楽器を落とした。
常なら考えられない失態だが、それほどに言葉がもたらした驚愕は大きかった。
「う、嘘だろ……」
足下がおぼつかないほどに。
「あれをなんべん殺したら死ぬって言うんだ!?」
バードの認識は、たまに非道く正確である。
地獄の使者を殺してでも生き残る男、が彼の抱いているイメージだった。
「いえ、あの、毒を飲んで」
「瓶に触れるだけで死ねそうな毒があったのか」
「だからですね……」
本音を言うたびに剣士の言葉がしどろもどろになっていくので、バードはその裏に何かをかぎつけた。
「……なんか隠してないか?」
「え」
そう言えば、目に見えて固まった後、ぶんぶんと首を振る。
「いえ、そんな、全く」
「あいつ、生きてるな」
「うっ……」
更に詰め寄られて、剣士が息を呑む。
それだけですでに白状したようなものである。
「あ、の……その、えっと」
「いや、無理に言わなくていいから、頷いてくれ」
どうせ口止めされてるんだろうと考え、喋らなくても良い方法をとる。
こく、と小さく頷いたのを見て、バードは尋問を開始した。
「奴は何かをごまかそうと死んだふりをした」
渋々と剣士が頷く。
「それは俺に絡んでる」
少しためらって、もう一度。
「そっか、ありがと」
それだけで自分の中で結論を出したらしいバードに目で尋ねると、口元を引きつらせた。
「……多分、いやきっと、奴は俺の所に来る! そういう奴だ」
肯定も否定も出来ないまま剣士が戸惑っていると、バードは気にせず続ける。
「だったらその逆をついて、アルベルタに帰る。そうすりゃ時間稼げるし」
「あの」
「いいんだ、何も言わなくて。止めてくれなければいい」
俺は逃げる、と言い切って、ざっと狭い部屋の荷物をまとめた。
バードは少し直情型なところがある。
「じゃな!」
さらっと手を上げて出て行ってしまったバードを呆然と見送って、剣士は申し訳なさそうに呟いた。
「ごめんなさい……でも、お二人が言ったとおりだった……」
歩く道々でもキャピュレットの跡取りが死んだ、などという噂が流れていて、
大規模だなとバードは嘲笑する。
転送所まで行くと、顔見知りになった職員に声をかけて送ってもらうことにする。
目指すは自分の生まれ育った町、アルベルタ。
ひゅん、と空気の抜けた音とめまいに似た感覚が同時に襲って、気付くとアルベルタだった。
ジュノーからここまでは何回か転送所を通過しなくてはならないので大変だったが、歩いていっては
気が付いたアサシンが戻ってくる可能性がある。
何だかんだ言っても潮風が愛しくて、心が少し浮かれる。
そこを、ついと袖を引く者がある。
そちらを見れば白い髪のシーフが一人、じっとこちらを見つめていた。
「ちょっと、こっち」
何、と聞く前に囁かれ、路地裏まで連れて行かれる。
路地裏で尚神経質に辺りを見回した少年は、ふーっとため息を吐く。
「何だ、あんた」
「えと、お前モンタギューの跡取りだろ? ほら、あそこ」
骨っぽい指が指した先には、キャピュレットの血縁の人々が歩いている。
今顔を合わせづらかったバードは正直に感謝したが、逆にシーフの正体も気にかかる。
あまり人に覚えられてはまずい立場なのだ。
「俺ね、大きな声じゃ言えないんだけどキャピュレットの奴に追われててさ、
似たようなもんだろ? 人相書き見たことがあるんだ」
親しげに言われたが、この少年が何をしたのかと疑問も湧いてくる。
「なんだかしんないけど今日やたらとキャピュレットの手の者が歩き回っててさ、こっち来いよ」
多少強引に手を引かれて、流石にバードも抵抗する。
「なんで、俺にそんなこと……」
「ああ……」
シーフがいっそ不自然に目を逸らす。
「……なんか、他人に思えなくてさ」
その目を見て、バードはいっそ本能で理解した。
同類だ。
しかも限りなく近い人物に迷惑をかけられる人種だ、と。
バードはそこで、油断したとしか言いようがない。
「……ごめん」
しばらく歩いてから急に表情が暗くなった少年は、どんと目の前の建物の中にバードを突き飛ばした。
二三歩たたらを踏んで振り返ると、開けっぱなしだった扉はすでに閉まりかけていた。
「お、おいっ!? なんで」
「ごめん、ほんっとーにごめん! 後で数発殴られるから、とにかく俺死にたくない!」
何やら謝りながらも、扉の閉まるペースは少しも落ちず
両手を合わせて頭を下げたシーフが、バードの見た最後の風景だった。
数回扉を叩き押し広げようとしても、頑丈な扉はびくともしない。
ここはどこだ、と真っ暗な部屋の中を見回すと、応えたようにぼっぼっとたいまつに灯がともる。
「こわっ!」
ホラーである。
そして、場所は更にホラーだった。
「の、納骨堂……」
しかもキャピュレット家ゆかりの、である。
足下から頭の先まで、一気に寒気が上る。
「罰が当たりそうだ……」
裏口か何かないかと足が勝手に奥へと向かっていく。
普通に考えれば納骨堂にそんなものあるはずがないのだが、見た目より気が動転しているらしい。
一際目立つ台の上に置かれたものが気になって、ついつい足を向けてしまった。
「おー、やっぱりアマツの三味線だ……いいなあ、どんな音すんだろー」
珍しい楽器を手に取ろうとして、仏さんのものだと考え直して止める。
しかしその時、バードは固まった。
「あんた」
続く言葉は、喉にひっかかって出てこなかった。
彼の視線の先には、アサシンが眠っていた。
しかし、ここにいる以上ただ眠っているはずがなく、肌に血の気が通っていない。
「えー……なんでここに、ってか死んでんの」
全く、欠片も、これっぽっちも、本当に死んだ可能性なんて考えていなかった。
あの剣士も生きていると……いや、とバードは考え直す。
生きているとは一言も言っていなかった。こちらが強引に頷かせただけだった。
もしかしたら、彼は自分がショックを受けているとでも思って合わせてくれていただけだったのか。
そんな考えがぐるぐると頭を回る。
何故か涙が出そうになって、慌てて首を振った。
たかだか幼い頃と数日前に出会ったっきりの、十何時間かしか顔を合わせていない相手だし、
人災を絵に描いたような人間だった。
そういえばここ数日は奴のことを考える時間が多かったかも、と考えて激しく戸惑う。
馬鹿な、これではまるで。
「……あんたが好きみたいじゃないか」
ぽつりと口をついて出た言葉が誰もいない空間に反響したようで、何とはなしにもの悲しくなった。
これは、知り合った人間が死んでしまったからで、好きだったんじゃないと思いながら、
必死に目を瞬かせる。アサシンの前で泣くのだけは嫌だった。
「馬鹿だ」
誰が馬鹿なのかもわからないまま呟いて、ついにこぼれそうになった涙を。
拭った指があった。
「……へ?」
少し冷たい指に驚いて下を見ると、アサシンが目を開けている。
そしてこちらにむかって手を伸ばして、とそこまでを認識して、バードは遠慮なく叫んだ。
「ぞ、ゾンビーっ!?」
墓の中の人もうるさいなあと眉をひそめるような、そんな声だった。
「失礼だね、生きてるよ」
常よりぎこちない動きでアサシンが起き上がる。
きらきらした目は確かに生気に満ちあふれ、死人のそれとは違う。
ただ、頬に添えられたままの手まではまだ血が通っていないらしく、冷たい。
自分でも知らないうちに暖めようとして持ち上げた手は、相手の台詞を受けてぴたりと止まった。
「ね、僕が何だって?」
「……へ」
「起きる前に何か言ってたでしょ」
「…………!」
あの時のよくわからない感情と、微妙な台詞まで思い出してしまって、バードの顔が朱に染まる。
「ねえ、なに?」
確実に内容まで聞いていただろうと思わせる声音でアサシンが聞く。
「馬鹿だっていったんだよ!」
逃げ出したいような気持ちにかられて、真っ赤な顔でバードは言い捨てた。
普段なら怒り出しそうなアサシンも今回だけはご機嫌で聞いている。
双方が、この状況を忘れた時だった。
「感動しましたよ!」
ばん、と墓のフタが一つ持ち上がって、白衣の男が登場した。
「うっわ!?」
奇妙な闖入者にバードが跳び上がって驚く。
その彼をどさくさに紛れてちゃっかり抱き寄せながら、アサシンの眉間にしわが寄った。
「……父さん」
「あ?」
その言葉に振り返る暇もなく、その隣の墓からもう一人姿を現す。
「複雑だが……幸せにな」
「ぎゃー!? お、親父までなんでここに!」
アルケミストに墓から引き上げてもらっているセージを指さしてバードが再び叫ぶ。
パニックで、最早頭は完全に事態についていってない。
「墓の下に潜んで様子を見ていただけですよ。これで安心して両家の統合が出来ますね」
アサシンが、見たこともないほど朗らかな笑みの父親を睨みつける。
「誰に聞いたの」
「ホルグレンの息子さんに」
事実はそうではないのだが、手っ取り早いスケープゴートに罪をなすりつける。
実際その名を聞いてアサシンの目が据わった。
「私は貴方たちを歓迎しますよ、さあ町に発表しましょうか」
芝居がかった動きで手をさしのべるアルケミストと、その横で無言で頷くセージの姿は質の悪い悪夢のようだ。
バードはそう思って逃げ道を探したが、いつの間にかしっかり腰を抱かれていて動けない。
アサシンは、バードにしか聞こえないように声を落として囁いた。
「ここでするのは嫌だろうから、帰ってからね」
誰にも触らせてないよね……と濡れた声で囁かれ、ぞくりと背筋が泡立つ。
全部嫌だ、と断る前に抱き上げられ、4人でわいわいと納骨堂を後にする。
バードは、先程までほとんど、というか全部死んでいたとは思えないアサシンを見上げてみる。
ん? と笑った笑顔が何も変わっていなくて、天を仰いでため息を吐いたのだった。
数日後。
「ごめんなさいホントごめん反省してる」
「んー……いや……言いたいことは山ほどあったけどなんかもういいや」
現れるなり土下座したシーフの姿を見て、バードは怒る気も失せた。
数日前まではぴんぴんしていたのに、今日は体中に包帯を巻いていて、骨折したと思しき腕は吊ったままだ。
頭の包帯は痛々しく、頬には大きなガーゼが張ってある。
「どうせやったのはあいつだろう」
「う、うん」
彼と出会ってから確実に増えたため息の数を数えるのは不毛に過ぎて、もう止めた。
「いいさ、俺たち仲間だろ」
「お……おう!」
ぱあっとシーフの表情が明るくなる。
その後ろで、頬杖をついたアコライトが不満げな顔をしていた。
剣士がお使いでいないので機嫌が良くない上に、すでにこの三人には外面を装うのを止めているのだ。
「なんでうちに来るかな……」
シーフの後ろでは逆毛の剣士が何食わぬ顔でその様子を眺めている。
駆け込み寺じゃない、と怒鳴りたいところを必死で押さえて、彼もため息を吐いた。
「……家にはあれがいるからな」
どんよりとしたバードの家は、すでにキャピュレットの屋敷に移っている。
住み慣れた屋敷から自分たちの荷物は一切合切移され、おまけにそこは孤児院にするから、と
言われてはキャピュレットに与えられた部屋にいるしかないわけだ。
父と二人、どうにも居心地が悪いと言えないのが心苦しい生活をしているわけだ。
父のセージは元から好きだったらしい研究をアルケミストと楽しそうにやっていて、バードに
止める術はなかった。アサシンは本格的に財産を増やす方向に乗りだしている。
が、今のところ家の中でばかり出来る仕事を選んでいるので、バードに構う時間は沢山、
そりゃもう山のようにあるわけで。
体力が保たないとバードが逃げ場を求めるのも当然といえよう。
ちなみに今までは共に暮らしていたらしいウィザードは、孤児院の院長をやると言って元モンタギュー家
屋敷に住み込んだ騎士につきあって一緒に住み始めた。一般的に逃げたとも言う。
薬屋のブラックスミスは相変わらずだ。
「え、それじゃまずかったかな」
「ん?」
「いやー、最初家に寄ったんだけど、バードさんいなかったじゃん。
何かあの人が終わったら迎えに行くとか言ってたような」
がたん、とバードが席を立つのと、扉が開くのは同時だった。
「お待たせっ」
バックに光を飛ばしているアサシンは、走ってきたのに息一つきらしていない。
すかさず駆け出そうとしたバードを腕に抱き込んで楽しそうに笑う。
「……あーゆーの、なんて言ったっけ」
「この世の春、だろ」
「……余所でやってくれないかな」
この町では、未だに悲劇の主人公である青年が一人いて、たまに悲劇の舞台に上がる喜劇役者も一人いる。
この物語は、そんな若者たちの悲劇の、ほんの序章である。
「悲劇のロミオ」と「ジュリエット」 End.
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