悲劇のロミオとジュリエット 前編


CAST
ロミオ:バード
ジュリエット:アサシン
マキューシオ:騎士
ティボルト:ウィザード
修道士ロレンス:アコライト
教会下働き:剣士
パリス:シーフ
パリスの父:ホルグレン
薬屋:ブラックスミス
キャピュレット家当主:アルケミスト
モンタギュー家当主:セージ





昔、港町アルベルタに二つの旧家があった。モンタギュー家とキャピュレット家という。
モンタギューとキャピュレットは、表向き互いに嫌いあっているように見えたが、今のところ
大きな諍いも起こらないままだった。
しかしこの町で、若者たちの悲劇が幕を開けようとしている。





きらびやかな光を放つシャンデリア、豪奢な細工が施されたテーブルに乗せられた、これでもかと言いたげな
極上の食品。その横では仮面で顔を隠した男女が笑いさざめき、ホールでは優美な踊りが繰り広げられている。
「豪勢なことで……」
そのパーティー会場の片隅で、白く滑らかなオペラ仮面で目元を隠したバードがひっそりと苦笑する。
この若者こそが、モンタギュー家の跡取り息子であった。
今日キャピュレット家屋敷にて開かれている仮面舞踏会に赴いたのは、別に何か騒ぎを起こそうとも
女性に手を出そうとしているのでもなく、友人の誘いがあったからだった。その彼も、紹介したい人がいると
その人を呼びに行ってからしばらく戻ってこない。
仮面舞踏会故顔を隠すのが決まりなのだが、それにしても顔全体を覆う仮面を付けていて息苦しくないのかと
行き交う人を見ながらバードは考える。
あちらの微笑ましい若いカップルは目が笑っていないスマイルマスクをお揃いでつけているし、向こうには
望遠鏡やらダイバーゴーグル、溶接マスクをつけっぱなしの一団がいたりする。
今通り過ぎていった男などは、よりにもよってガスマスクをつけていた。
ワルツのために演奏している楽団がいることもあって自慢の楽器の腕もふるえず、退屈そうに壁際にいた
バードの目が、こちらに向かってくる二人組の姿を捕らえた。
一人は友人の騎士、もう一人はかの友人の知り合いであるウィザードだ。
「お待たせしました」
シンプルにサングラスをかけた騎士が朗らかに声をかけてくる。サングラスが悲しいほどに似合っていない。
眼帯をつけているだけのウィザードは、バードに向かって軽く頭を下げた。
「ようこそ、キャピュレットの宴へ」
「おかげさまで、楽しんでますよ」
社交辞令ではあったが、一応躾はきちんとされているバードは会釈して応える。
と、頭を下げてから気が付いたのだが、この物言いではウィザードはキャピュレットの関係者か何かだろうか。
騎士に目で問うと、一つ頷いてからバードにウィザードを紹介した。
「こちらは、キャピュレットの跡取りのお嬢さんのいとこなんです」
「え」
関係者どころか、中枢も中枢だった。
友人である騎士が、モンタギューとキャピュレットの冷戦状態を知らないわけもあるまい。
答えに詰まっていると、あちらから救いの手がさしのべられた。
「気にすることはない、モンタギューの嫡男」
流石に周りに気を遣ってか声は潜められていたが、こちらの正体が筒抜けなことにバードの表情が硬くなる。
「両家の断絶にも色々と理由はあるが……私たちにはあまり関係のないことだ」
「まあ、そりゃそうだけどね」
「確かにキャピュレットの方ですが、いい人ですよ」
騎士が、フォローだかなんだかわからないフォローを入れる。
その言葉にも表情を変えず、気分を害した様子もないウィザードを、バードは少し尊敬した。
常に携帯しているらしい短剣の使い込まれた様子には少々戸惑うものがあるが、なかなか人間が出来ている人らしい。
三人が談笑していると、突然ざわめきが広まった。
何があったのかと見てみれば、ホールから二階へと続く階段からドレスを纏った女性が下りてきているところだった。
濃い紫と薄い藤色をバランス良く配色したドレスは美しいが、少しばかり妖艶さを通り越して怪しさを感じさせる。
闇よりも少し薄い髪と、古びた洋館に住んでいそうな顔はどことなく人間離れしている。
蝶仮面が似合いすぎていて、トゲがびしばし残った紫のバラのようだとバードは詩人の端くれとして評価を下した。
「あの方が、噂の?」
期せずしてその人物に注目していたバードは、騎士の声に我に返った。
「ああ」
頷いたウィザードは、何故か重々しい口調でこう呟く。
「私のいとこであり、キャピュレットの跡継ぎだ」


挨拶があると言ってウィザードがそちらへ向かってしまったので、やることのない二人は早々に帰ることにした。
騎士はちゃっかり彼と次の約束を取り付けているようで、出会いのことや彼の人となりについてを差し障りのない
程度バードに話し、二人並んで歩きながら会場を出ようとした、その時だった。
早歩きで追いついてきたウィザードが、バードを呼び止めた。
「すまない、少しつきあってくれないか」
「へ?……こっちじゃなくて?」
こっち、で騎士の方を指さすが、ウィザードは首を振った。
「お前に会いたいと言っている者がいる。呼んできて欲しいと頼まれた」
「……はあ」
バードに全く心当たりはなかったが、ひょっとしたら自分を見初めた女性からのお誘いか、と考えると
まんざらでもなかった。しかし、何故この男に伝言を頼むのかがいまいちわからない。
「じゃあ、おれは先に帰りますよ」
「あー、悪いな」
「いえいえ、気にしないでください」
騎士がひらひらと手を振って、バードに別れを告げる。
そのまま去っていくかと思いきや、ウィザードにひそひそと耳打ちをした。
大方次の約束についての確認だろう、と細かいことを気にしないバードは見て見ないふりをした。


「……すまないな」
会ったばかりのキャピュレットの人間に謝られて、バードは首を傾げた。
二人で果樹園とおぼしき暗い道を歩いている最中のことである。
「何、まさか罠とかいうオチじゃないだろうな」
なるべく冗談に聞こえるように明るく言う。ここは曲がりなりにも敵地のど真ん中であり、
見つかったら命はともかく身の安全は保証できない。しかも仮面はすでに外してしまっている。
軽々しく言ったバードの台詞に、しかしウィザードは無言で首を振った。
表情が思ったよりも苦々しくて、少しばかりバードは緊張する。
「そうではない……では、ないのだが」
どうにも歯切れが悪いウィザードは、それでも足を止めることはなかった。
やがて二人が辿り着いたのは、屋敷の大きさから考えればこじんまりとした庭である。
正面に、大きなバルコニーが見えた。
「私の役目はここまでだ、ではな」
「ちょっと待てよ! こんなとこに置いてかれても……」
「少しここにいればわかる」
縋るバードを振り払って、ウィザードはそそくさと去っていった。
この場から逃げ出したいような雰囲気を隠さなかった彼を見て嫌な予感に襲われたバードは、
身を翻して帰ろうとすらしたのだが。
「待って」
決して大きくもない、高くもない声がそれを遮った。
声につられて振り返ると、バルコニーに鮮やかなドレスが見えた。
「あんた……キャピュレットの」
そのドレスと仮面の取り合わせに見覚えがあってそう呟くと、満足げに微笑んだ相手は仮面を取ってみせた。
夜明けの風貌ではなく、沈みゆく夕日を眺める姿が目に浮かんで、思わず見とれる。
どこかで見たことがあるような、と一瞬思考を巡らせたバードは、次の瞬間呆気にとられることになる。
「今行く」
さらりと告げたキャピュレットのご令嬢は、自分の手を手すりにかけると、思い切りよく
空中に身を投げ出した。絶妙の体重移動で、空でも飛べるのではないかと錯覚したバードは、
目の前に音も立てずに降り立った相手を心底びっくりした顔で見返した。
「あ、危ないだろ! 仮にも女の子が」
「女の子?」
きょとんとした彼女は、自分の服装を見てああ、と呟いた。
「脱いでる時間がなかったんでね」
悪戯っぽく自分の唇に指を当てる人物の声は、淑女の声とは違った形でバードの中に入り込んできた。
「僕はキャピュレットの跡継ぎ……で、アサシンやってます」
よろしく、とにっこり手をさしのべてくる彼女もとい彼を眺め、バードはめまいすら感じていた。
自称アサシンの声は舞踏会場で漏れ聞いた作り声とは異なり、きっちりと男性声である。
しかし、バードはキャピュレットの跡継ぎは女性だとずっと聞かされていたのだが。
「……なんで、女装なんか」
世間でもキャピュレットのご令嬢、として知られている。
「便利だから」
事も無げに言い切って、呆れて二の句が継げないバードの頬を滑らかに撫でる。
「こういう業界だとね、表には別の顔を持っていた方が都合が良い」
「どういう業界だ」
聞きたくはないが、とバードはその手を払った。
その仕打ちに腹を立てる様子もなく、アサシンは訳知り顔で頷く。
「なるほど、本当に知らされてないみたいだね」
あの当主が甘いってのは本当だったか、などとわざと聞こえる声で言われては、さすがに気になってしょうがない。
何か言いたげに自分を見つめるバードをちょっと焦らしておいてから、アサシンは視線を上に向けた。
「詳しい話は、僕の部屋でどう?」
「……モンタギューの人間が、キャピュレットの跡継ぎの部屋に入れるか」
苦し紛れの言い訳だとは自分でわかっていながら、尚バードはそう言った。
彼の体の中にある野生の本能のようなものが、何かが危険だと訴えていたので。
「そんなことは君自身が欠片ほどしか気にしていない。違う?」
何もかも見透かしたような顔と言い方に反発を覚えたが、好奇心には勝てなかったバードは黙って頷いたのだった。


無駄に豪華な天蓋付きのベッドに座らされて、バードは柄にもなくそわそわしていた。
何となくベッドは避けたかったのだが、ここは寝室であるらしく椅子の一つもないし、床に座るという
提案は部屋の主に却下された。その当人はというと、嬉しそうにバードの隣に腰掛けている。
妙に密着されているとは思うのだが、それを言い出すのが恐くて、バードは当初の話題を出した。
「で、俺が何を知らされてないって?」
その眼光はなかなかに鋭いものだったが、さして気にした様子もなくアサシンが話し出す。
その間に、ちゃっかり手がバードの腰に伸びている。
「まず一つ。僕の家と君の家は仲が悪い訳じゃない」
「は!?」
寝耳に水の話だった。幼い頃から何かにつけてキャピュレットに負けるな、はたまた関わり合うな、と
言われてきたし、世間でも両家の不仲は一般的な常識でさえあった。
そんなバードがにわかには信じられないでいるのを悟って、アサシンは口元だけで笑みを刻む。
愛おしげでどこか危険な笑みに気付かないまま、バードは彼の説明を聞いていた。
「僕の家はここアルベルタや他の都市でも裏の仕事を請け負っていてね。
 それに関する情報提供を担当しているのが昔から君の家ってこと」
そもそもバード、吟遊詩人は各地を渡り歩いて歌と共に情報を売っていたとされる。
初めて知った事実に呆然としていたバードは、服の裾から入り込んできた手にぎょっとして跳び上がった。
「な、なんだ!?」
「こっちが、僕が君を呼んだ本当の理由……愛してるよ」
間近で言われて硬直したバードは、ベッドにそのまま押し倒されるのに抵抗できなかった。
やがて事態の異常さに気付いて暴れるも、きっちり押さえられてしまう。
挙げ句の果てに、右手首を手際よくベッドヘッドに縛り付けられてしまった。
「待て待て! 何で俺が知らされてなかったんだ!?」
彼にしてみれば自分の将来にも関わることであるから聞いておきたかったのだが、最初から
そんなものは彼を引きずり込む口実だったアサシンはさらりと無視する。
とろけるような口付けを贈られて、それでもバードは抵抗を止めなかった。
「なんなんだっ、いきなり……さっき会ったばっかりだろうが!」
言われた言葉に、初めてアサシンが動きを止めた。
それでも左手と足を拘束するのを止めないのは実に彼らしい。
「覚えてないの? あんなに優しくしてくれたのに」
「はあ?」
優しくも何も、バードには目の前の人間に心当たりがなかった。
少なくとも彼の今までの人生にはいきなり人を押し倒す人間は登場したことがない。
悲しげな顔は少しばかり同情できる代物ではあったが、事態の改善には至っていないところがミソである。
「忘れもしない4歳の頃……公園で会って一緒に遊んだでしょう」
「よんさい……」
なんだか出てきた遠い記憶にくらくらする。
そんな年のことは流石に覚えていないし、唯一覚えているとすれば木から落ちた相手を助けようとして
転び、そこにたまたまあったガラスの破片で腕を切ったことぐらいだ。
相手の顔も覚えていない、とそこまで考えてなぜかぼんやりしたイメージが浮かぶ。
痛くて涙が出てきた向こうに見えた夕日。
落ちたと思ったらあっさり着地した子ども。
……古い洋館に住んでいそうな顔?
「あ……?」
あの時の着地した子どもの身のこなしが、咄嗟に彼に対して浮かんだイメージが、一つずつ重なっていく。
「……大丈夫? おにいちゃん」
耳元で吹き込まれた声に、一気に記憶がはじけた。
「あっ、あー!? あ、あんたまさか、木から落ち……」
「落ちかけたと思いこんだ君が助けてくれようとしたよね」
相手を見上げた姿勢でぱくぱくと口を動かす。
あの日以来親に公園遊びを禁止されたので行っていないが、と考えてふと思いつく。
「……4歳の頃?」
「うん、僕は4歳だった」
にこにこと言うアサシンは、自分のことを思い出してもらえてご機嫌のようだった。
「俺、確か6歳ぐらい、だったような」
「君が僕より年上なだけだよ」
2歳ばかり、とあっさり言われて、体中の力が抜けた。
思わず相手の顔を通り越して天井を見上げる。
確かにおにいちゃん、と呼ばれた記憶があるので目の前の相手よりは年上なのだろう。
しかし、あの子どもがこうなるのか、とか年下に抑え込まれて良いのか俺、などと考えるうちにどうにも
疲れてきてしまったらしい。
「あれからずっと、君に恋してる」
執念深すぎ、と思ったことを咄嗟に喉の辺りでバードは押しとどめた。
「夢の中の君はどんどん大きくなっていって……写真と夢でしか逢えない日々は辛かったよ」
コレクション見る? と聞かれてバードは無言で首を振った。
写真とかコレクションとか、死ぬほどに嫌な予感がしたからだ。
そういえばなぜか俺の洋服だの箸だの歯ブラシだのはなくなることが多かったと思い出す。
結構抜けている父が間違って捨ててしまったのだろうとずっと思っていたのだが……想像するだに
恐ろしいので彼はその考えを止めた。賢明な判断である。
「夢の中だけの恋人だったけど……今夜ようやく手に入れた」
隠しきれない熱情に満ちて、その目は何よりも雄弁にバードを映し出している。
「もう離さない」
再びキスをされ、その息苦しさにバードはもがいた。
長年の執着を物語る、長い長いキスだった。
ようやく唇が離れ、バードは空気を吸いすぎて咳き込んだ。
目の端に涙が浮かんでいる。
その様を、何故かアサシンは笑顔で見つめていた。
「あの時、君の血と涙を初めて見た時」
眉を寄せて見つめられ、アサシンは歪んだ悦びに満たされる。
見ているだけでしかなかったというのに、今は彼からも見つめられていることが、純粋に嬉しかったのだ。
「僕は自分の本当の姿に気付いた……君の、痛そうな顔と泣き顔がとても好きだ」
そういわれて、バードは背筋が凍る感触を味わった。
――モノホンだ。
冗談ではなく身の危険を感じて逃れようとしたが、何もかもが遅すぎた。
その日一晩中、その部屋から泣き声とも叫びとも喘ぎともつかない声が聞こえていたという。


最早何をする気力もなく、ぐったりとバードはベッドの上に転がっていた。
散々好きなようにしてとりあえず満足したアサシンは、にこやかに言葉遊びを始める。
外から、ほんの少し明るい光が入ってくる刻限のことだった。
「ねえ、愛を誓うなら何に誓ってくれる?」
「……愛してな……いやごめんなさいはずみですつーか気のせいですだから手を離してください」
笑顔のままあらぬ所を探られて、バードはあっさり白旗を上げた。
何か上手い答えはないものかと頭を働かせる。
「……月、かな」
ちょうど昨夜は満月だったため、もう空にその姿は見あたらなかったが。
「月? あんな夜毎に形を変える不実な物に?」
「それだけじゃなくて遠くて多分聞こえないだろーという」
「……まだ足りないのかな」
「いいえ滅相もございませんちょっとしたジョークですいやホント」
「僕は君自身に誓って欲しいんだけどな」
死んでも誓いたくない、とバードは思ったが、三度目の失敗をする気にはなれなかった。
「まあ、とりあえず結婚しようか」
「あーはいはい……ってええ!?」
ごくごく普通に言われてごくごく適当に返したバードは、驚きに目を見開いた。
今、とんでもないことを口走られた気がする。
「一応今までは機密保持と蜥蜴の尻尾切りのために両家の交流は断絶してたけど、ぼちぼち裏家業も
 はやらない時代になってきたし、僕は対外的には女性だから結婚して仲直りしたって言えば
 世間は美談に取るだろうし。一石二鳥」
俺の気持ちはどうなる、と叫びたかったが、そんな体力と気力が残っていなかった。
「……裏の仕事止めていいわけ?」
「まあ、元々片手間だし。やりたいって人は個人でやってもらえばいいし」
それに、と微笑む。
朝日が泣けるほどに似合わない彼の、それは心からの笑みだった。
尤もバードの前では常に本気の笑顔だというのが彼の主張なのだが。
「今更君にあっちの道を歩んで欲しくないからね」
笑顔と口調どころか、その全身で告白されているような気分に陥って、バードは視線をさまよわせた。
「君にあげられるものは僕自身と、僕の財産と、それから幸せな日々」
そっと手を取って口づける。
「僕が欲しいものは君と、君と過ごす幸せな日々」
それはあんたにとってだけ幸せな日々とか言わないだろうか、とバードは思ったが、
口に出すほど学習能力がないわけではない。
「結婚しよう」
つい三十分ほど前までバードに無体を強いていた男とは思えないほど真摯な表情で、アサシンはプロポーズをした。





――逃げよう。
自室でうつぶせに寝転がりながら、バードはそんなことを考えていた。
数時間後に迎えをやるから、と言われて帰ってきたのだが、何度考えても結論は同じである。
正直今朝言われたことには少しなびかないでもないが、相手が相手だ。
男、サドで変態、絶倫、とくれば逃げ出したくなるのも当然だろう。
現にバードの体は家まで誰にも会わず帰り着いたことが不思議なほど消耗している。
善は急げだ、とがばと起きかけて腰に鈍痛を感じ、再びシーツに顔を埋める。
ぼうっとしていると昨夜のことを鮮明に思い出しそうで、今度はそろそろと動き出した。
その時、部屋のドアがノックされた。
「……いるか?」
返事を待たずにドアを開けたのは、自分の父でありモンタギューの当主のセージであった。
「何か用?」
昨夜聞かされたことを問いただしてみたい気持ちはあったが、この妙に浮世離れした父に
聞くのもかわいそうだと結局何も聞かなかった。
「客だ」
必要なことしか喋らないセージの後ろから姿を現したのは、青い髪の青年だった。
静かな物腰だが、帯剣している。
「こんにちは、初めまして……突然の訪問、お詫びします」
すいと頭を下げられたので、何故かつられてバードも会釈する。
少し不思議そうにセージもそれを見ていたが、じゃあ、と手を軽く上げて去っていく。
「僕は教会の使いの者ですが、キャピュレットの方からお手紙を預かっています」
「…………!」
どうぞ、と手渡されて反射的に受け取ってしまう。
恐る恐る開いてみると、目がくらむような内容が並んでいた。
大筋は今から結婚式やるからその子についてきてね、なのだが、何故か途中につらつらと
昨夜の様子が書き連ねてある。アサシンにその気はないが、バードは脅迫かと真剣に悩んだ。
「……あの、これ、読んだ?」
みるみる青ざめるバードの様子を訝しげに眺めていた剣士はその問いに首を振った。
「そんな失礼なことはしません……受け取らなかったら読み上げるように、とは言われていましたが」
あの野郎。
手紙を握りつぶしながら、数時間前に別れたばかりの人間の顔を思い出す。
「えーと、それで、準備ができたらお連れするように、とのことなんですが」
どうしますか、と尋ねてくる年下とおぼしき青年に、バードは笑って行くよ、と言った。
美しいまでのカラ笑いだった。
実はバードは昔から年下に弱かったし、捨て犬のような態度にも弱かった。
父がそのタイプだったからなのだが、目の前の青年も似たようなタイプのようだった。
少年の域をやっと脱出したかのような仕草と声色に負けたのだ。
自分の性格を壮絶に呪いつつ、彼は外出の支度を始めた。



一方、教会には幸せいっぱいといった風情のアサシンが座っていた。
ステンドグラスから明るい光が差し込む礼拝堂を占領され、教会の主のアコライトがため息を吐く。
尤も普段からこの教会にあまり参拝者は訪れないのだが。
「……そのしまりのない顔を止めませんか」
穏やかな風貌と異なり、その言葉にはかなりのトゲがあった。
落ち着いた青の髪を邪魔にならないように短くしている彼の世界も一種独特である。
彼は自分の愛する人以外はどうでもいいと半ば本気で思っている節のある、聖職者に向かない人間だった。
その点ではアサシンと共通点があるのだが、そう言えば彼は露骨に嫌な顔をするだろう。
「幸せだからねえ」
確かに幸せそうではあるが無闇に腹の立つ、と思ってアコライトは再びため息を吐く。
「ようやく長年の思いが成就したんだ、普通でしょう」
そのことをアコライトは嫌と言うほど知っていた。
何せ副業の関係でアサシンと関わりを持ってからというもの、ことある事に恋愛相談という名の
のろけ、ストーカーっぷりの報告、愚痴などを散々聞かされていたからだ。
おかげで望んでもいないのにバードのことについて、下手をしたら彼本人よりも詳しく知ってしまっている。
流石に今朝教会に来た途端に昨夜の彼の姿、などを聞かされた時は慌ててはり倒したが。
掃除をしていた下働きの青年に変なことを聞かせたくなかったので。
「それにしても、突然結婚……」
しかも親族には一切告げず、である。
「あなたなら両家の説得ぐらいたやすいでしょうに」
「んー、だって今捕まえとかないと……」
ここで礼拝堂に落ち着いてから初めて、アサシンはアコライトを見た。
ゆっくりと足を組み替えてみせる。
「逃げられたら泣くに泣けない」
鮮やかな笑顔はバードといた時とは全く違う硬質なもので、目だけが情欲に濡れていた。
「逃がす気すらないくせに」
「お互い様」
その言葉にはアコライトは何も返さなかった。
正面の扉を開けて、剣士が入ってきたからである。
その途端、アサシンは疾風もかくやといった勢いで扉に突進する。
すっと彼をかわした剣士を見て、アコライトは久しぶりに眉間のしわを解いた。
「おかえり」
「ただいま戻りました……えっと」
ちら、と剣士が視線を流す先には、普段着のままアサシンに抱きしめられているバードと、
腕の中で何やらわめいているバードの耳元で何事か囁くアサシン。
空気が抜けた風船のように大人しくなった様子までを二人で眺めていたが、何事もなかった
かのようにアコライトは笑顔で手招きした。
「気にしなくて良いよ。それより、ちょっと手伝ってくれるかな?」
「あ、はい」
急ぎ足で寄ってくる剣士を見ていたら後ろの二人組まで視界に入ってしまい、
アコライトは実に見事に視界から二人の姿だけを外した。
「一応立会人がいてくれた方がいいから」
「わかりましたけど、一体今日は何をやるんです?」
「……言ってなかったっけ」
「聞きましたっけ」
細々と打ち合わせをやっている間にも、卑怯者!だの意地っ張りー、だのと声は聞こえてきていたが、
アコライトは故意に無視した。
「あの二人の結婚式」
「ああ……」
頷きかけて、剣士はくるりと後ろの様子を見た。そしてすぐに向き直る。
「……合意の上、に見えないのは気のせいでしょうか」
「……まあ、なんであれ依頼人の願いは叶えてあげないと」
微妙に納得していない風ではあったが、剣士はそれ以上アコライトに聞かなかった。
バードを引きずってアサシンがやってきたからである。
剣士が一歩下がって姿勢を正すと、アコライトはほとんど暗記しているため普段は使わない聖書を
取り出した。喜色満面のアサシンと疲労困憊のバードを同時に見つめ、おもむろに宣言する。
「前略。二人の結婚を認めます、はいおめでとう」
細かい所どころか宣誓の箇所まで省いた台詞に、剣士も思わず肩を落とし、
バードはこけそうになるのを必死におさえた。
「色々と間違ってる!」
そもそもこいつを止めてはくれないのか、と目で訴えたバードを見つめ返したアコライトの目は
はっきりとこう言っていた。
面倒なことはさっさと終わらせてこの人と縁を切りたい。
なんとなく目の前の修道士も被害者な気がして、バードは口をつぐんだ。
「これで晴れて夫婦だね」
「なにその寒い響き」
寒いジョークよりずっと寒い台詞にバードには聞こえた。
「発表まではもうちょっと待っててほしいけど、これで僕は君のもので、君は僕のもの」
愛しい人の手を取って笑っているだけに見えるが、すでにバードの指先は白くなっている。
「ごめんなさい離してください」
「一生離したくないなあ」
「いや無理」
名実共に夫婦漫才を見ながら、剣士がぽつりと呟く。
「これで良かったんでしょうか……」
「少なくとも約一名は幸せだね」
その幸せに差しかかる影がそこまで来ているとは、誰も予想していなかった。



「一体……俺の人生って……」
ふらふらと町中を彷徨いながら呆然とバードは呟く。
昨夜とんでもないことをされたと思っていたら、ついさっきから妻帯者になってしまった。
今晩部屋に来てね、と新妻に言われても行く気になるわけでもなく。
いっそ国外に逃亡しようかという考えすら浮かぶが、確実に追いかけてこられるとも思う。
どうすればいいのかと思っていると、誰かと肩がぶつかった。
「あ、すんません」
「こちらこそ……って、あれ?」
反射で謝ると、相手はすっとんきょうな声を出した。
改めて顔を見れば、昨夜別れた騎士ではないか。
隣にはこれまた昨夜会ったウィザードがいて、バードを見て少々苦い顔をした。
犯罪の片棒を担いだ重荷もあるのだろうが、バードは彼を責める気にはならなかった。
あれの前ではどんな論理も常識も通用しないということを嫌と言うほど理解していたからである。
「ゆうべは……その」
「いや、気にしなくて良いよ、あんたが悪い訳じゃないし」
「なにかあったんですか?」
一人話の見えない騎士が聞くが、二人とも曖昧な笑みを浮かべただけで答えなかった。
何を言っていいのかわからないのが正直なところであった。
その時、ふとバードの脳裏にひらめいたことがある。
「じゃあ、代わりと言っちゃなんだがあんたに頼みがある」
びっと鼻先に指を突きつけられて、ウィザードが少し身を引いた。
「……わかった、聞こう」
「おれも手伝いましょうか?」
なんだかわからないままに騎士も言う。
得たり、とばかりに笑んで、バードは指を立てたままその考えを披露した。
「本気か?」
「ああ。あれがいる住み慣れた土地よりあれがいない新天地の方がマシだ」
「寂しくなるけど……また会えますよね」
「あー、多分」
そうして彼らは、にわか芝居を始めたのだった。





バードの目の前に、音もなく立った影がある。
予想済みの訪れにバードは視線を上げただけで応えた。
約束は夜にキャピュレット家で、だったのだが、夕日が差し込む部屋はバードの自室である。
「……どういうこと?」
「どうも、こうも」
どこか空虚な顔をしたアサシンに尋ねられて、バードは平気な顔で嘯く。
本当はすぐにでもこの場から逃げ出したいと思うほど嫌な空気が発せられていたのだがぐっと我慢する。
「明日この町を出て行け、との領主殿のご命令だよ」
すでにそのことは知っていたらしいアサシンだが、本人の口から聞かされて唇を噛んだ。
心臓はばくばく音を立てて鳴ったが、本番での度胸だけは人一倍あった。
「昼間、ちょっと友人とやり合ってさ、間の悪いことにそいつは領主の息子なわけ」
そう、実はバードの親友たる騎士はこの町の領主の息子だった。
それにつっかかって怪我をさせた、ふりをして領主を怒らせたのだ。
ウィザードの演技がかなりわざとらしかったことだけ記しておく。
「そんなことで当主にはなれん、とか言われてさ、追放だって」
笑えるよな?と視線を向けた相手は欠片も笑っていなかった。
泣き出しそうな顔でバードを見ている。
「……僕も行く」
「駄目だ」
当然予想の範囲だった台詞をばっさりと切り捨てる。
揺らいだ瞳にこちらの心まで揺さぶられたが、気を強く持とうと努力した。
「あんたには責任があるだろう? 裏家業、止めるには大変なはずだ」
「そんなの、君に比べたら」
「あんたがくれるって言ったんだ」
そう言うと、昨日とは逆にアサシンが黙り込む。
「領主の怒りなんてすぐ解けるさ、だから俺のことなんて忘れて」
台詞が矛盾しているのは、本音が出たせいらしい。
「でも僕は……!」
何事か言いかけたのを、手で制する。
「……だってさ、あいつ、あんたの悪口言うからさ」
「え?」
これで逃げられる、我慢だ、と自分を慰めながら口に出したが、妙に気恥ずかしくてそっぽを向いてしまう。
頬は少しばかり赤かった。
「だから、その、ほっとけなかった……って、もういい、何でもない」
言っている内に耐えられなくなってきたので、これは演技ではなく台詞を打ち切った。
だが、アサシンは少々どころではなく感激したらしい。
思いっきりバードに抱きつくと、勢い余ってそのままベッドへと倒れ込んだ。
座りやすいから、とベッドに座ってアサシンを待っていたバードは、己の迂闊さを嘆いた。
「大好き」
耳に吹き込まれて、ついでに舌も入れられて。
「俺、明日早いんですがー」
「だって初夜だし」
よーし今日は手加減しないぞーと言うアサシンに、バードの顔が青ざめる。
昨日ので手加減していたと言うつもりなのだろうか。
ともかく、しばらくできないからと言うアサシンが、本当に容赦しなかったことは確かである。


「……ひばりが鳴いてる」
朝が来たんだ、掠れた声でバードが囁く。
「ナイチンゲールだよ」
あれは夜に鳴く鳥の声だから、まだ朝ではないとアサシンが言う。
しかし、バードはそれを聞かなかった。
「あ、あれはひばりだ! 詩人が言うんだから間違いな……っ」
ひくんとバードの体が一瞬跳ねる。
「都合悪いからって動かすな……」
まだ入ったままのものを露骨に感じてしまい、バードは文句を言う。
くすくす笑ったアサシンはようやく体を離し、じゃあ帰るね、と頬にキスを落とした。
思い腕をようやく持ち上げてひらひらと手を振ったバードは、結局ばれなかったことに安堵していた。
領主に何かしたら余計心証が悪くなるから絶対何もするなと
釘を刺すのも忘れなかったし、問題はないはずである。
新天地に向けて、と気合いを入れるバードは、まだ父に何の説明もしていないことをすっかり忘れていた。




続く








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